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半額以下で買えるクーポン特集 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 浅草 物真似 百面相 紙切 音曲 曲芸 1978※奇術 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 伝統芸能、落語

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半額以下で買えるクーポン特集 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 浅草 物真似 百面相 紙切 音曲 曲芸 1978※奇術 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 伝統芸能、落語

hane2ban真庭米 コンヒガリ 30kg 令和6年産
0030898 謡本 28冊 観世清兼 檜常之助 明治34年 内・13冊 外・9冊 別能・6冊揃
蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像1 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像2 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像3 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像4 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像5 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像6 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像7 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像8 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像9 蔵出し・大衆芸能 一級資料! 私家版『寄席と色物』波多野栄一と直筆賀状の2点セット 1978※奇術 曲芸 音曲 紙切 百面相 物真似 浅草 _画像10
   寄席色物の大研究家・波多野栄一の私家版『寄席

と色物』(非売品)と直筆賀状(昭和57年)セットである。

昭和寄席芸能史の一級資料のため、今や入手困難

となり「日本の古本屋」やアマゾンなどで検索しても

皆無の逸品である。


【『寄席と色物』について】

  目次の詳細な項目は約250もをるので、とても

書き切れない。巻頭口絵写真の内容と、本書の大き

な柱は次のとおりである。


●巻頭口絵(写真等)

・新宿末廣亭の昼・夜席の案内ポスター。

・波多野栄一の百面相写真(7点)

・大正・昭和の寄席演芸の資料写真(9点)

・東宝名人会・人形町末廣のチラシ・新聞広告等


【本文・目次】

●寄席と色物(大神楽と曲芸、奇術と手品、百面

相と紙切、腹話術、操り人形、義太夫と新内、他)

●東宝名人会(日劇小劇場・秦豊吉先生・文楽・

志ん生・圓生・金馬はじめ、昭和を彩った大衆芸

能の人々との想い出、他)

●今昔浅草物語(見世物、芝居、剣劇、活動写真、

映画、マキノ省三、活弁、オペラ、ストリップ、

安楽館、江戸茶番、食べ物と浅草、文学作品、他)

●東京風物詩と年中行事、夜店と縁日、見世物、

絵草子、お百座参り、東八拳、焼き芋、他)

●艶笑風一夕話(氏神様、左甚五郎、焼蛤、狐と

馬、傘の化物、鈴ふり、妙な糞、下女の屁、他)


【波多野栄一の年賀状】

 昭和57年正月の賀状で、波多野栄一が某演芸

番組プロデューサーに差し出したものだ。「一月

十六日、・・・NHKに出ます」と直筆で綴られ

ている。当時は埼玉県新座市にお住まいで、その

住所印も押されている。


【波多野栄一について】

 寄席色物では、昭和を通して一世風靡した芸人・

波多野栄一(1900~1993)。百面相や名優物真似、

漫才や漫劇、文字や言葉遊びなど多芸多才であっ

た。本名は畑野栄吉で、六代目三遊亭圓生と同じ、

明治33年(1900)9月30日に東京・芝の生ま

れた。築地工手学校卒業。大正8年(1919)新劇

・民劇座に入り、翌年に文芸座へ移籍した。その

当時から、大浜少女歌劇団の教師・田谷力三のオ

ペラ座での役者や、映画の助監督など経験し自ら

の新たな芸を模索していた。


 昭和戦前「波多野栄一漫劇隊」一座を立ち上げ

た。国策営業が深まった昭和12年(1937)吉本

興業(東京吉本)に入る。渋谷花月を常打ちとし、

いつもトリを任される大人気だった。その後、東

宝名人会の専属漫才を経て、戦後は落語協会に所

属し、古老として寄席テレビに百面相で出演しな

がら、多くの後進を育てた。
 

【本と賀状2点の状態と、発送に関して】

  ともに42年前のものだが、状態は美品に近い

「上」以上の部類である。本書しのぐ類書はなく、

激レア本だったので、神田駿河台下の古書会館

で行われたコレクター向けの展示即売会で高額

で、20年以上前に入手したものだ。本書がパラ

フィン紙で包まれているのはその為である。著者

の賀状は、演芸プロデューサーから入手したもの

だ。個人情報の住所は、付箋を貼って隠してある。

発送はレターパックライトで、送料は当方が負担

サービスいたします。

 

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